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団塊オヤジの知的好奇心生活

我が「勉強人生」に悔いなし 60数年の歩み(3)

小学校に入学するまでの記憶はあまりありません。今回は記憶にあるものをランダムに書きます。

私の兄弟はみんな幼稚園や保育園の類には行きませんでした。そもそもそういうものがあることを知りませんでした。この辺の地域でも少数の人は行ってたようです。

昼間は何をしていたかというと木登りこれは椎の実を取るためです。これは皮をむいて食べられます。

近くの川でざりがりをとり尻尾の部分を食べました。それ以外にシジミやどじょうをおかずにそうめん(うなぎの稚魚)は売りに行ったこともあります。夏には思い立ったように素っ裸で川で泳いでいました。父と一緒に海水浴に行ったこともあります。

母とはふき・のびる・せり・などを取りに行きました。ふきは美味しかったです。
ちゃぼを飼っていた時もあり卵が大好物でした。

神社の境内で丸太がバットがわりの三角ベースのソフトボールをやりましたが、全然打てず、ボールも取れない不器用でした。めんこやビー玉・ベーゴマもやりましたがどれも下手くそでした。もちろんかくれんぼ・缶けり・それから回り将棋・軍事将棋・トランプ等々です。これが将来のコンプレックスの序章といってよいでしょう。

夕方になると拍子木を叩いて紙芝居屋が近所に回ってきます。神社の境内で水飴・酢昆布・せんべい等を売ります。私も1日10円貰っていたのでたまには買いました。紙芝居の内容は忘れましたが冒険物みたいで必ず続きものです。あの時の話口調は今でも忘れません。淡々と話ながらもどこか引きこまれていくのです。お金がなくただ見の人もいました。あまりにただ見が多いと今日は多いなとつぶやいていました。

神社での秋祭りは楽しみでした。この日は特別に100円位もらいました。そして露店が並び火薬テープの鉄砲やお面等を買いました。なんとか一座の田舎芝居が始まり、あまり筋はわかりませんでしたが股旅ものが多かったようでした。ゴザに座った年配者は涙を流してみていました。

それと今でもやっているところもあるでしょうが、神社にヤグラをたて盆踊りをやっていました。私は踊りませんでしたが、仲間がくるのでそれが楽しくてよく行っていました。

正月は駄菓子屋でこんぺいとうの菓子が売られくじで1等・2等と大きなものがもらえました。凧揚げ・喧嘩ゴマといって相手のコマに当てて倒すのです。こんなことも記憶にあります。

次回は小学校に入学してからのものです~。

我が「勉強人生」に悔いなし 60数年の歩み(2)

8畳一間で家族5人で生活をしていました。民家園等にでてくる農家の麦藁屋根の土間付きの「田の字」の一間を借りる間借生活です。4部屋には4家族jが住んでいました。

その当時そういう生活をしていた人もいたのでしょうが、私の部落ではここだけでした。

さて私の家族以外の家庭というと住人も変わりましたが、くず屋(バタ屋ともいう)今でいう格好良く言えば廃品回収業です。その仕事をやっている家庭が2家族、後の1家族はろうそく生活の失対生活者(ニコヨンと呼ばれていた)です。父もくず屋を一時期やっていました。

その8畳は床の間でした。唯一便所がありました。他の家族はないので外にほったて小屋の便所を使っていました。縁側もありその中でも恵まれていたのでしょう。

その生活は昼間は母が練炭袋の包装をする内職をしていたので部屋中袋だらけで部屋にはいれませんでした。その後父母ともにポリエチレン袋を作る仕事をしていました。この仕事もやはり部屋中一杯になるので昼間は部屋にいられませんでした。

食事はどこにもあったちゃぶ台で食べました。父は酒は飲みませんでした。そのため酒に縁のある風景を就職するまでよく知りませでした。
寝る時は全てを片付け、ふとんは4人分しかひけませんでした。

もちろん自宅には風呂はありません。町まで歩いて20分の銭湯に1週間に1回いっていました。風呂は体をきれいにするためで入浴後の心地良さは後から知りました。

小学校に入るまでの生活は記憶がうろ覚えです。父の言葉で朝起きる時「おきろちゃ、おきろちゃ、みなおきろ、おきないとひょこさん(将校)にしかられる」といってたのを覚えています。
それと父が横になって両足を持ち上げて子供達のお腹の上をにつけることをやってくれました。うまく表現できませんがわかるでしょうか。

唯一写真館で撮った思われる1歳未満の時の裸の写真を今でも持っています。

この時代はみんな貧しくこういう生活をされていた人もいるでしょう。

私は21歳までこの家で暮らしていましが、就職するまで嫌だと思ったことはありません。

とりとめのない文章ですがその当時の風景を思い出していただけたらと思っています。

今回は外にしなければならないことがあるのでこのくらいで~。

我が「勉強人生」に悔いなし 60数年の歩み(1)

今私は大変幸せな生活を送っています。家族は専業主婦と長男は正社員で安定した会社で自宅から通勤しています。長女は都内に通う大学生です。

貯蓄はある程度ありおそらく亡くなるまでは普通の暮らしが出来ると思っています。

このような時期に自分だけしか書けない「我が人生」を記録にとどめ、こういう男がいたのだと知ってもらえればと思っています。

いつか記録にとどめようと思っていましたが、色々自分のやりたいことがありなかなか踏みきれませんでした。

東日本大震災は私の人生観を少なからず変えました。震災前はこのまま普通の生活を送って静かに一生を終えればよいと思い、物事に対する意欲の低下がありました。

これを機に生かされている自分を見つめ、いつ死ぬかわからない人間、今生きているこの時間、そして今日を何もなく生きられたものを大切にしよう思ったことです。

これから書くことは記憶をたどりながら誕生から現在までの歴史です。
基本的にはノンフィクションですが、フィクションもあると思ってください。

具体的な固有名詞を使うと率直に文章が書けなくなるなるのでアルファベット等を使っています。
色々構成を考えましたが、いくら考えても始まらないと思い、書いていくうちに色々出てくるだろうと思い、完全に見切り発車です。

私は作家でも著述業でも文章の専門家ではありません。下手な自分の文章です。

私の両親は東北のY県出身です。父は出身地で高等小学校を出て魚やの奉公をやっていたようです。その後徴兵にかりだされ台湾で騎馬兵(実は馬の世話係)をやっていたようです。

母は同じ町の出身で小学校を出て織物工場で働いていたようです。

父が復員して結婚しました。兄が生まれましたが1歳になるまでに急性肺炎で亡くなりました。今の医療では助かっていたでしょうが。その時の落胆はすごかったようです。その後私が生まれました。
父は復員後K県に移り鉄工所・進駐軍従業員として働きました。
そのせいか当時としては珍しいココアを飲み、英字紙がありました。

私の生まれはT市の得体の知れない間借り家です。妹と私とでは同じT市でも住所が違います。また弟も違います。

弟の生まれた8畳一間の間借生活で約20年過ごすことになります。

その後の生い立ちは次回で~。

「運」+「努力」=成功

  • 2011年3月 1日 21:32test

不況・少子高齢・等々受難の時代に日本国民は直面している。中国・韓国を見ているといかに日本人が怠慢かよくわかる。

内向きの若者「公務員」志望が多いところからよくわかる。今の公務員に明日はない。ただ首にならないだけだ。

ワタミの創業者「渡邊美樹」氏が都知事選に立候補する。週刊誌で読んだが社内では決して評判は良くない。しかし彼の努力には敬服する。裸一貫であそこまでグループをさせたのはまさに「運」+「努力」にほかならない。

団塊の世代は高度成長期と共に歩んできた。恵まれている。これも「運」である。いわば人生の巡り合わせといえよう。

この世の中うまく生きていくに時代の流れに逆行しないことだ。

時代の流れは誰にも変えられない。

成功するには努力を惜しまず運がなければならない。

「いかに生きるべきか」自問自答している昨今!

  • 2010年1月 6日 21:44test
  • 雑感

正月は酒を飲まなかった。そういう場所にも行かなかったことある。もっぱら読書三昧に終始した正月であった。

この頃年のせいかこれからの人生いかに生きていけばよいか模索している。

五木寛之氏の「人間の運命」によれば人間は生まれながらにして自分では解決できない運命を背負わされているという。

世の中成功するためのハウツウ本があふれている。これを読めば皆が成功するなら事は簡単だ。
しかしいくら実践するために努力をしても思うようにならないのが人生だ。

テレビでは「坂の上の雲」「龍馬伝」に興味を持ってみている。今幕末人気だという。「この国を変える」という血気盛んな青年があふれていた。

夢も希望もない現代とは大違いだ。

読む本は「哲学」「思想」「宗教」のジャンルに興味を持ってよんでいる。

また、機会があったら悟りの境地になったら載せます。

貸金業務取扱主任者資格試験に合格しました!

  • 2009年12月19日 18:25test
  • 資格

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2回目の挑戦で合格することができました。合格率は1回目より低く約60%でした。
貸金業をとりまく環境は厳しくすぐに役にたつかどうかわかりません。しかし貸金業はなくならないから、どちらにしても宅建と同様に営業所に配置する義務があるので団塊世代が年金をもらいながら雇ってもらえればよいと思っています。

金利を下げて個人で開業できれば1番いいのですが、難しいでしょうね。

女医の有罪確定へ=川崎協同病院事件-尊厳死依然の問題だ!

  • 2009年12月 9日 21:18test
  • 雑感
川崎市の川崎協同病院で1998年、意識不明の男性=当時(58)=から気道を確保するためのチューブを抜き、筋弛緩(しかん)剤を投与して死なせたとして、殺人罪に問われた医師須田セツ子被告(55)について、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は7日付で、被告側の上告を棄却する決定をした。懲役1年 6月、執行猶予3年とした二審判決が確定する。  最高裁が終末期医療をめぐる医師の刑事事件で判断したのは初めて。どのような要件があれば法律上、延命治療中止が許されるのかという基準は示されなかった。  同小法廷は、男性が脳波の検査を受けておらず、発症から2週間しかたっていなかったことから、「回復可能性や余命について的確に判断できる状況ではなかった」とした。  また、チューブの抜管は家族の要請によって行われたが、家族には病状などの適切な情報が伝えられていなかったと指摘。「法律上容認される治療中止には当たらない」と判断した。 

本件は東海大安楽死事件での横浜地裁の3要件を満たしていない。(1)発症から2週間では末期状態とはいえない(2)患者本人及び家族に意思が伝わっていない(3)治療が無意味かどうかも独善的だ。

以上からして尊厳死とは到底判断出来ない医師の思い込みによる拙速の処置だった。

延命治療中止は医師一人に任すのではなくグループを作り判断すべきだ。そうでないと死生観によってばらばらになってしまう。

そのためにも揺れている尊厳死問題に早急のガイドラインを策定すべきだ。

「死」という重い課題は尽きることはないかも知れないが無用の延命にも疑問符が投げかけられる。

殺人罪に問われた医師 川崎協同病院事件 -- 終末期医療と刑事責任
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4割が「子ども必要ない」=20~30歳代は6割-内閣府調査 死んで残せるものは子供しかない!

  • 2009年12月 5日 20:46test
  • 雑感
内閣府は5日、男女共同参画に関する世論調査の結果を発表した。それによると、結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人は、2年前の前回調査に比べ6.0ポイント増の42.8%となり、1992年の調査開始以来最高となった。持つ必要があるとする人は同6.5ポイント減の52.9%だった。少子化の背景に、国民の家庭に対する意識変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「生き方の多様化が進んでいる」としている。  調査は、10月1日から18日にかけて、全国の成人男女5000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は64.8%だった。  子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38.7%、女性が46.4%だった。年齢別では、20歳代が63.0%、30歳代が59.0%と高く、若い世代ほど子どもを持つことにこだわらない傾向が浮き彫りになった。 

著名な作家・音楽家・画家等なら後世作品が残っていくだろうが、大概の人は死んだ後残るものといえば子供しかない。

今の若者は死んだ後など何も残らなくてもいいと思っているのだろうか。それでは寂しい気がする。

どの生物も本能として子を残すように出来ている。もしこれがなければ生物は絶滅してしまう。

人間とて同じではないのだろうか。子供を欲しがらなくなれば人類は絶滅してしまう。

こういう風潮は少子化に拍車をかけますます日本人は少なくなってしまう。

こういう考え方をもつ若者が増えるということは非常に危険なことだ。

結婚して子供を育ててこそ人生があり、一人前の人間として扱われる。

確かに子育ては楽ではない、しかし大きくなり成人となると子供を持って良かったと感じるものである。

「生き方の多様化が進んでいる」では片付けられない憂慮すべき問題だ。

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地デジ対応 ケーブルテレビか光にするか悩む!

  • 2009年12月 3日 11:11test
  • 雑感

現在我家ではケーブルテレビに加入している。本格地デジ化の前に来年春に地デジにすると連絡があった。料金はそのままで地デジにするという。

テレビはまだアナログだがここに来て地デジ対応のテレビを購入しようと思っている。

インターネット・電話は光なのでテレビも光にしたらどうか検討中だ。

色々調べた結果光にすると工事費の発生・ケーブルテレビの撤去料がかかる。
パック料金にすると若干光の方がチャンネルが多いが料金はほぼ同額だ。

そうなるとこのままケーブルテレビでもよいかな思っている。

今まではCS 放送等の専門チャンネルはスカパーかケーブルテレビの独占であった。

しかし光ケーブルを利用してのテレビの出現で私みたいに選択に迷う人がでてきよう。

テレビの配信事業が携帯電話と同じように競争時代に突入してきそうだ。

亀田興が2階級制覇、内藤に判定勝ち 大人になった!

  • 2009年11月29日 22:52test
  • 雑感
世界ボクシング評議会(WBC)のダブルタイトルマッチが29日、さいたまスーパーアリーナで行われた。WBCフライ級タイトルマッチ12回戦は同級3位、亀田興毅(23)=亀田=が同級王者、内藤大助(35)=宮田=に判定3-0で勝ち、新王者になった。06年8月の世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級に続く国内7人目の2階級制覇を達成。 35歳2カ月の内藤は6度目の防衛に失敗し、自身の持つ日本人最年長世界王座防衛記録(34歳8カ月)の更新はならず、日本人の世界フライ級王座防衛回数単独最多記録を逃した。亀田興は次戦で暫定王者、ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)との対戦を求められている。

亀田の冷静な試合運びとパワーが内藤よりも勝っていた。

手数は内藤のほうがあったように思えるが若さゆえの亀田のパンチ力に内藤は1ラウンドはから鼻血を出し顔面は歪んでいた。

今回のタイトルマッチは亀田の「勝ち」は順当であろう。

亀田も大分大人になったものだ。とかく不評をかっている亀田家だが、チャンピョンとしての自覚と今後の人間「亀田」に期待したい。

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3 まあいいかなあ.......
4 これは問題作です。

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