- 2008年7月20日 09:27test
- 自分史
上記のタイトルで今までかかわってきた無線通信関係の団塊オヤジの変遷史を随時載せるつもりです。
私が小学生の時家にはテレビはありませんでした。5級スーパーというラジオがあり、家族で聞いていました。その当時よくこのラジオは何級と聞かれ「5級スーパー」というと高級だったそうです。5級の5は真空管の数です。私が聞いていたのは夕方やる「赤胴鈴ノ助」でした。たしか赤胴鈴ノ助の声は「参議院副議長の山東昭子さんか吉永小百合」さんだったと思います。後相撲で栃錦と若の花の対決が印象に残っています。夜はNHKの「3つの歌」は家族みんなで聞いていました。父は「浪曲天狗道場」を聞いていました。
中学生になって「技術家庭」という科目があり、ラジオの製作の実習があり、3級ラジオキットを半田を使って夢中になって製作した記憶があります。そして音が聞こえた時の喜びは何とも言えませんでした。その後鉱石ラジオやゲルマニウムラジオの自作をやり、だんだん「電波の世界」にはまっていきました。
家にテレビが入ったのは、中三の時です。テレビが入ると家庭のリズムが(娯楽)ががらっと変わってしまいました。テレビっ子といわれるくらいテレビ中心の生活の人も少なくありませんでした。私はそうではありませんでしたが、というのはテレビは一家に一台しかなくそのために番組のチャンネル争いよくありました。そのために殺人事件にまでなったこともありました。私は今でもテレビはさほど見ません。
話が横道にそれましたが、すっかり電波少年(以前そういう番組がありましたが、全然関係ありません)になり、家庭の事情で大学までの進学はあきらめ、工業高校の電子科に入学することになります。
高校に入ってからアマチュア無線との出会いが始まります。続きは第2回で。
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