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アマチュア無線~プロ無線 そして衰退へ 第4回

昭和41年当時の電話交換機の主流はH型かA型でした。ステップバイステップで上昇・回転をしパルス方式でダイヤルを回して接続します。入社の頃はよくダイヤルのオーバーホールをやりました。ガバナーで回転速度を調整しているため、速度が変わると誤接の原因となります。またいちいち交換手につないでもらう共電式の交換機もかなりありました。この頃の交換機はリレーを目で追いかけることが出来ました。修理・補修も自分達ですべて出来ました。その頃が懐かしいです。
その後クロスバー交換機の出現で大きく変わりました。つなぎきりでなく、リレーの共用、一度接続すると復旧し、次の接続を待つという方式です。電子交換機の出現までの長い間、全盛時代でした。
交換台には有紐と無紐があり、交換手の免許も二つに分かれていました。その後無紐だけになりました。

一方PBXの免許は日本電信電話公社の工事担任者認定証というもので、実務経験を要し更新をしなければなりませんでした。終身免許になったのは昭和60年位だと思います。

クラス変更を行うラッピング工具等電話工具バッグ確か8号小道具といったと思いますが、宅内工事にはかかせない物でした。電話線はPVC室内線、多対なども使っていました。

今や交換機はコンピュータに代わり昔のリレー式交換機の発想は捨て、コンピュータの知識があればよいことになりました。団塊オヤジの経験が生かされなくなったのです。通信関係の業務には多いです。

アマチュア無線においては昭和50年代はビギナーは50MHz帯が全盛でした。トランシーバーの出現で誰でも簡単に交信出きるようになりました。その当時パナソニックもリグを製作していました。RJX601です。アイコムのIC701、トリオのTR1100等持っているハムが多かったです。Eスポが発生すると遠距離まで短時間ですが、交信できるため大騒ぎでした。「CQ6m」が飛び交っていました。テレビで「ハローCQ」を放映していたのはこの頃でしょうか。タレントの藤村俊一、須藤典子さんがハムをやっていたのは有名なことでした。この頃からハム人口が一気に増加してくるのです。
続きは第5回で



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